2018年4月号
一部抜粋
ごあいさつ
全国会長 沼田広慶(千葉県松戸市 北辰館スクール)
皆様には日頃よりNPO塾全協の活動にご協力いただき誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
今、経済界はAI時代に突入しつつあり、新たなニューディール政策を模索しています。
米国のIT各社はこの流れを肯定的に捉えていますが、当然マイナスの面もないわけではありません。いずれにせよ、AIとロボティクスによる雇用の変化は必然であり、塾業界にも大きな影響を与えることは明らかです。一方、政府は我々塾を含む各業界に対して生産性の向上を訴えておりますが、その鍵となるのはAIとロボティクスの活用です。我々塾人はどうしたらよいのか。何よりも子供たちのために我々がなすべきことは何なのか。我々は今こそ英知を結集して時代の大きな変化を乗り越えなければなりません。
NPO塾全協は、会員の一人一人が主役となって社会貢献できる場を提供していくことを目的としている組織です。次代を背負う子どもたちが豊かな未来を送れるよう、お互いに全力を尽くしたいと思います。会員の皆様の益々のご活躍を祈念致しまして、新年度を迎えての
所感と致します。
新しいビジネスモデルを探る
NPO塾全協東日本ブロック理事長
内藤潤司(埼玉県狭山市 ソロモン総合学院)
昨年、ベトナムに行ってきました。私にとって、高校から大学にかけてはベトナム戦争の時代で、関心の深い国でしたが、なぜかなかなか行くことができませんでした。戦争の爪痕はどのくらい残っているのかと思っておりましたが、もちろん人の心の中には深い傷として
今なお癒されないこともあるでしょうが。
かつて北爆の象徴であったトンキン湾は、風光明媚な観光地になっておりました。バイクの騒音が町中に溢れ、エネルギッシュな、活気に満ち溢れておりました。今回は、南のホーチミン(サイゴン)から、北のハノイまでを十日間で巡るという、かなり強行な旅行でした。
ベトナムの中部の町ホイアンで絹製品の国営の店に入りました。ベトナムは、今でも養蚕が盛んで、民族衣装アオザイはじめ学生の制服までもシルクとのことのようです。私は何気なく見ておりましたところ、私に「シルクスーツを作りませんか」と、勧めてきました。
ベトナムの布地でスーツを作るなど全く興味がありませんでした。私は、旅行中で、日本にでも送ってくれるの、と聞きました。かつてトルコで絨毯を買った時、確かに日本まで、送ってくれたけど。ところが、女性の言うには、、「五時間で作ります。」でも、今夜は、100㌔以上離れたフエに泊まるんだよと言いました。そしたら、「今晩、ホテルまで届けます」と言います。現地のガイドに聞きますと、今までトラブルを起こしたことはありませんとのこと。
オーダーのスーツを5時間で作り、100キロ以上離れたホテルまで配達してくれるというビジネスの仕組みにかけました。昼前に注文し、夕刻ホテルに着くとスーツが届いておりました。
サイズもぴったしで、仕立ても手縫いのステッチもよく、気に入りました。今このスーツを着る度に、新しいビジネスの仕組みを作らねばと、そんな思いに駆られます。「新しい酒は、新しい皮袋に」
塾にある図書館か?図書館にある塾か?
ー子ども図書館奮戦記ー
NPO塾全協全国会長 沼田広慶
(1)子ども図書館設立
図書館と言っても独立した建物があるわけではない。私の塾は本当に小さい個人塾で事務室のほかに教室が2つあるだけだ。事務室も6畳、潜水艦のような狭さである。(いや、最新の
潜水艦のほうが居住性はいいかもしれない。)この中に面談室まであるのだから全く身動きできない。教室も10畳と15畳の広さしかない。後者は昨年の秋まで教室兼柔道場として使用していたが、師範の私自身が腰を痛めてドクターストップとなり、道場は閉館した。
全日本柔道連盟公認の登録道場としてはおそらく全国一小さい道場だったと思う。道場用の畳はそのままだが、現在は教室としてのみ使用している。そして隣の小さな教室の方は多目的に使っていたのだが、1年ほど前にここの壁3面を開架式の本棚にして図書館に改造
した。真ん中にはテーブルといすを置いて8人くらいまで座れるようにしてある。閲覧室、自習室、時には授業にも使う多目的空間である。後述する「読み聞かせの会」もここで行う。当初は3000冊ほどだったが、昨年で1000冊ほどを購入して、さらに入れ替え等をしたので、2018年3月の時点で3500冊が並ぶ。教室の隣には大きくはないが、ちょっとした倉庫があり、様々な資料や書類、教材等が入っているのだが、そこにも約2500冊の書籍がある。将来的には10000冊くらいを蔵する私設図書館として塾生だけではなく一般の子どもたちにも利用できるようなものにしたいと考えている。個人的にどうしても手元に置いておきたい蔵書は別で、それらは自宅の書斎にあるが、図書館に置く本と個人的な蔵書との区別は実はかなり曖昧で今後どうしたものかと悩んでいる。特に、日本文学・世界文学や歴史書・哲学書などは勿論、文庫や新書なども大半が個人的蔵書からもってきたもので、愛着のある本もかなりある。
そばに置いておきたくもあるし、別に買うという余裕もないので、我慢せざるをえない。本好きは本棚を眺めているだけでも楽しいくらいなので、書斎からごっそり本がなくなってしまって、寂しい思いをしている。もっとも本好きと言っても、仕事に追われて個人的には
年に100冊程度しか読んでいない。完全にリタイヤしたら読書三昧の日々を送りたいと思うのだが、いつになることやらわからない。
(2)何を置くか
当初は日本文学全集や世界文学全集、世界思想全集などを並べて満足していたのだが、よくよく考えてみれば、それはバカな自己満足をいうべきもので、自分が何をしているのか全くわかっていなかった。対象は小中高校生なのである。高校生にはまだしも、小中学生に対してはこれはだめである。ということで何を置くか、何を置くか、最初からやり直して児童書を調べることにした。と言っても、自分が小学生時代に読んだ本は蔵書としてはほとんど残っていなかったので、時間を作っては本屋や古本屋を歩き回り、またネットでも調べて、わかる限りで大体のところをリストアップしてみた。その結果だが、驚いたことに自分が読んだことのある本よりも
、全く知らない本がほとんどなのである。半世紀以上たつうちに新しい児童文学がたくさん生まれていたのである。当たり前だが、フランダースの犬やトム・ソーヤの冒険などしか浮かばない頭には衝撃的だった。電撃文庫などに至ってはさっぱり見当もつかない世界で
ある。とにかく店頭で立ち読みできるものはざっと中身を確認して、ブックオフやヤフオクで片っ端から購入していった。やむなく新刊を購入したものもあるが、それではとてもじゃないがお金が続かないので、原則普通の本屋では購入しないことにした。子供のころから本屋は大好きな居場所の一つだったので申し訳ないのだが背に腹は代えられぬ。毎日毎日、本を調べては買い、調べては買いで、さすがに疲れた。今並べてある3500冊のうち約2000冊はいわゆる児童文学と分類されているもので小学生対象と言ってよいだろう。中学生用としては小学生高学年から高校生向きの本まで幅広く対象となると思うので特に分類するのは難しい。但し、中学の教科書等に取り上げられているような本は揃えたい。高校生用も日本史・世界史や現代国語・古典等に出てくる本は同様である。古典文学全集は全巻あるが、現代国語に出てくる最近の小説や論説文はないものが多いのでこれからの購入リストに加えるつもりだ。最近では、塾のテキストにある物語を最初から読みたいと塾生から言われたので、これもリストアップしている。また、時に保護者や塾生から本の寄贈をされることがある。大変ありがたい話である。
(3)貸し出しと管理をどうするか
貸し出しは当初からしている。貸し出しノートを作って教室においてあるが、借りたい者は授業の合間などに日付、生徒番号、書名を記入して借りていく。返却の際は同じノートの返却日欄に日付を記入して借りた本をそこに置いていくだけだ。私はノートをこまめにチェックし、1か月の貸出期間を経ても返却されていない場合などには本人に直接その旨を告げ返却するように促す。とこう書けば問題ないようだが、実際は日付などの記載事項が間違っていたり、当然返却が遅れる者がいたりで、結構面倒だ。返却が遅れる常連はたくさんいる。
しかし、借りてくれるだけでもありがたいと思っているのであまり目くじらは立てない。本が破損することは滅多にないが、下の兄弟姉妹が破ってしまったとか、クレヨンでいたずら書きをされたとかいうトラブルはある。先日は飼い犬が噛みついてボロボロになってしまった本を持ってきた者もいたが、その犬が余程のストレスでもためているのではないかと心配になった。その時はさすがに保護者が折り菓子をもってきて弁償しますと謝罪してきたが、お金は受け取らずワンちゃんによろしくと笑って済ませた。もっともこういうことが
多くなれば対応を改めて考えなくてはなるまい。
蔵書には全て蔵書番号を書き込み、塾のハンコを押して、蔵書目録に書名、著者名、出版社、発行年月日などを記入している。本当はパソコンに入力して簡単に検索できるようにしたいのだが、現状ではとても時間が取れない。手書きのノートが増えていくのを見ているだけだ。分厚い大学ノートに隙間なく書き込んで6冊目である。狭い図書館だからひとわたり見渡せば何とか把握できると思っていたが、半年前に購入した本をまた買ってきてしまったことが重なって、もはやこれまでとパソコン入力を始めたが遅々として進まぬ。夜中にやっているので目がしょぼしょぼになり女房に目薬を買ってきてもらったが、肩は凝るし、腰痛は悪化するしで、わずか100冊ほどやってギブアップした。バイトを雇うしかないのかと思っているが、生産性のない仕事にお金を払う余裕はなく、一時は途方に暮れたが、気長にやるしかないと決意、少しずつ打ち込んでいる。塾がなくなるのが早いか、打ち込むのが早いか、いい勝負だろう。
(4)読み聞かせの会と本の紹介
いくら本をそろえても肝心の塾生が読んでくれなければ話にならない。自己満足もいいところだ。確かに読む者は読んでくれるのだが、まだまだ少ない。強制的にではなく自発的に読書に親しんでもらうにはどうしたらいいだろうか。まずは本に興味をもってもらうのがいいだろうと思って始めたのが「読み聞かせの会」である。8月を除く毎月1回、原則として第2土曜日の午後に私が主に小学生たちを相手に本を読んでいる。この3月で第27回目である。別に朗読を普段から練習しているわけでもないので素人といえば素人なのだが、もともと朗読は好きだったので苦にはならない。日本の昔話や世界の童話まで読む本は様々だが、毎月何を読むかで一苦労する。狭い図書館
の本棚の前を檻の中のクマのように行ったり来たりしては悩んでいる。途中の休憩を入れて、1時間の会なのであまり長い物語は駄目である。短い短編の場合は2つ読むこともあるし、時には詩を読むこともある。私の好きな宮沢賢治の童話や詩を読むことが多いが、子供たちに読んで欲しい本をリクエストしてもらって読むこともある。楽しいひと時だ。
毎月発行している塾新聞に書評というより、2冊ずつ本の紹介文を数年前から書いているのも本に興味をもってほしいからだ。1冊は小中学生向き、もう1冊は中高校生向きだ。この新聞はこの3月で389号となる。塾を始めたのが1980年なので途中からの発行だが
我ながらよく続いていると思う。やはり、こういうことが好きなのだろう。「教育・進学情報トピックス」や「今月の館長の言葉」という欄もあり、資料集めにも時間をかけている。本を紹介するにはまず読まなければならない。子供のころ読んで内容がわかっている場合は簡単だが、初めて読む本を紹介するのは結構時間がかかる。最近では半分くらいが初めての本なので大変だ。ここ50年くらいのうちに書かれた作品は、塾の教材で読んだことのあるもの以外は、ほとんど知らないものばかりである。毎日少しずつでも児童書を読むのが最近の日課である。お互いに読んだ本について子どもたちとおしゃべりをするときは楽しい時間だ。図書館は談話室にもなり、授業の合間や終了後に塾生たちとおしゃべりをしているとこっちの歳を忘れてしまう。本の話ばかりではなく部活や学校生活のことなども話題になる。時には元塾生の教え子が夜遅く訪ねてくるときもあり、人生相談室にもなっている。
(5)希望
将来は(将来などという言葉が使えるくらい塾が存続すればの話だが)、「塾にある図書館」から「図書館にある塾」へと変貌するかもしれない。つまり主たる仕事が図書館になり、塾の方は希望者に対して限られたわずかな時間の中で教えるということだ。
主たる仕事といっても図書館の方は商売ではない。あくまでボランティアだ。現在はそれでも塾における付加価値としての経営的な側面がないわけではないが、それほど期待しているわけではない。好きなことを自由にやれるようになったということだ。
塾を卒業した後は、一般市民に、といっても小中高校生だが、開放する私設図書館として存続できれば望外の幸せと思っている。
末筆となってしまったが、稲葉副理事長には段ボール数箱分もの本を寄贈していただいた。どれも安くは手に入らない高価な本ばかりである。深く感謝申し上げるとともにここに記してあらためて心からお礼申し上げたい。
編集後記
従来は4ページのNPO塾全協新聞でしたが、6ページ、もしくは8ページでも良いかもと
思いながら編集していました。今後の課題かな?
中村基和