2019塾全協新聞
官は不易を、民は流行を
~民から官への潮流の下に~
以下一部抜粋
官は不易を、民は流行を~民から官への潮流の下に~
NPO塾全協 全国会長 沼田広慶(千葉県松戸市 北辰館スクール)
皆様には日頃よりNPO塾全協の活動にご協力いただきまして誠にありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
今年は改元という大きな節目の年であり、2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されるという何かとあわただしい動きの中で新年度を迎えることになりました。教育界におきましても、ここ数年来、大きな変革の動きがあります。
英語の4技能学習や課題解決型能力の育成など新たな視点が取り上げられており、経産省が主導する第4次産業革命やEdTeckの導入などとともにそれらへの対応が喫緊の課題となっています。AIやロボットの活用は人類文明の必然的な流れと言ってよく、ICTやIoTの発達と相俟って従来の教育指導方法を一変させることは時間の問題と言っていいでしょう。我々塾人にとりましてもこれらの動きを見極め早急に対応することが求められています。
ただここで気になっていることがあります。第一にこれらの教育上の変革が官から民への流れであり、官の主導によって行われようとしていることです。明治の近代国家建設の時代ならば国家権力による迅速な公教育の育成はやむを得ないことだったかもしれませんが、国民に主権があり、親の教育権が認められている現代では教育は民が主導するものでなければならないと思います。民間教育界が日本の教育は如何にあるべきかのビジョンを提示し、さらにはそれを自らの力で実践し、官がそれを範として取り入れていく流れこそが民主国家における教育の本来あるべき姿ではないでしょうか。民間教育においてシンクタンクを設立し、民が官を導くような社会を目指したいと思います。また、学校は週5日、午前中で終了し、部活動等も週3回以内で1回2時間までとし、後はスポーツにせよ学習にせよ、民間で個々の能力と目的に対応した教育を受けるというのが理想です。インターネットを活用した家庭学習
も広く普及することでしょう。公教育の存在を認めるに決してやぶさかではありませんが、政府は民間教育の拡充にこそ優先的に予算を使うべきです。勿論、民間教育の側でも国の補助を最初からあてにするのではなく、自らの力で成し遂げるような気概を持つべきだと思います。
第二には学校での教育内容です。学校では児童生徒の学力差や能力差を勘案した学習指導を行うのに限界があることは否めません。個々の能力差への対応も、時代的変化への対応も民間教育に任せるべきです。公教育は国民として必要な最低限の基礎的学力や専門的学問の
土台となるような基本を身につけさせることに専念すべきだと思います。不易と流行という言葉がありますが、学校では不易を、民間では流行をというのが理にかなっているのではないでしょうか。勿論、民が不易を担っていいのですが、学校はあくまで不易だけを担うべきです。
大学では最近になって人文科学・社会科学・自然科学の基礎を横断的に教育するリベラルアーツに関心が高まっているようですが、複合的な視点からの問題解決能力が求められている現代社会では当然の帰結だと思います。小中高校でも国語の4技能を中心に文学、歴史、哲学といった思考の土台となるような学習に集中すべきです。人間としての生き方の基本となるべき知識や教養を身に付けることが大切です。
そうした意味では外国語学習やプログラミングといった時代の流れに対応した教育は全て民間で行われるべきなのです。幕末、オランダ語から英語へと外国語学習が大転換したことを思えば英語は不易ではなく流行なのです。欧米の植民地でもない日本が公教育のカリキュラム
に英語を加え、しかも入試でも最重要科目としていることは間違っていると言わざるを得ません。最重要科目は国語であり、日本語の4技能こそがまずは優先されるべきです。誤解のないように申し上げますが、英語が不要だと申し上げているのではありません。インターネットでも英語が世界を席巻している今日、学問の世界でもビジネスの世界でも英語は必修と言っていいでしょう。
しかし、それでも学校では不易の学習に徹すべきだと思います。機を見るに敏なるは民であり、官の変革は百年河清を俟つに等しい。しかも、あえて言えば現在の学校英語の非効率性は火を見るより明らかです。例えば、既に英検4級や3級以上を取得している小学生が、
ABCからやらねばならない生徒と一緒に中学1年生クラスで学習することを考えればわかります。
もはや議論の余地はありません。英語指導の早急な官から民への移行が求められる所以です。
プログラミング教育も同様でしょう。
米中経済戦争、英国のEU離脱問題、北朝鮮の核ミサイル開発、米ロのINF条約(中距離核戦力
全廃条約)の破棄等に加えて解決されない難民問題や地球温暖化など国際社会は不透明感と
危機感が募っています。その上、強欲資本主義が世界中にはびこり、効率至上主義と拝金主義が人間としての尊厳やゆとりある生活を人類から奪いつつあります。今こそ人類は知足と共生の思想を学ばねばなりません。一方、日本では学生から社会人までが
テレビの娯楽番組とゲームに夢中になり読書時間が減少の一途をたどっています。このままではこの国は遠からずして亡国の道をたどることになるでしょう。衆愚民主社会は最悪の結果をもたらします。衆愚社会はポピュリズムを生み、ポピュリストたちが
議会制民主政治によって「自由と平等」ではなく「専制と不平等」を生み出す危険性を孕んでいます。教育こそが危機を救うのであり、希望であります。真の教養は自ら考える力を育て、どのような社会にあっても各自に偏りのない正しい判断基準を与えるものです。知識や技術はその上にあってこそ輝くものとなるでしょう。
官から民ではなく、民から官への潮流を目指すとともに、官は不易を、民は主として流行を担うようにこの国の教育を変えていくことが肝要だと思います。
時代を背負う子どもたちが明るく豊かな未来を送れるように、お互いに全力を尽くしたいと思います。会員の皆様のますますのご活躍とご発展を祈念いたしまして、新年度を迎えての
所感といたします。
問題解決能力
NPO塾全協東日本ブロック理事長
内藤潤司(埼玉県狭山市 ソロモン総合学院)
毎年七月に東京ビッグサイトで、国内最大規模の教育、教材展が開かれます。ほぼ毎年参加するのですが、その展示会で三十前後講演会があります。その中でも人気のある講師には大きな会場が用意されるわけですが、その大きな会場で、経済産業省・教育産業室長の
浅野大介氏の講演がありました。私は既に二、三回聞いていたのですが、申し込み、聞きに行きました。講演中、塾の教育に果たしてきた役割について、時間をかけて話しておりました。少々気恥しい思いを感じる程、塾の教育を評価してくださいました。彼自身が、個人塾の素晴らしい塾長に出会い、東京大学に合格したとも以前聞いたことがあります。さらに驚いたことには、500人近くの参加者がいましたが、塾関係者は10%もいませんでした。
教育委員会関係、大学、高校関係者のネームプレートをしている人達がほとんどでした。隔世の感がしました。
彼の持論によると、これからの教育は、子供に「問題解決能力」が必要で、これが身につかなければ世界で競争出来ないと断言するわけです。問題解決能力を、我々は、意図的に教育してきたであろうか。問題解決能力をどのようにすれば、教育できるのか、自問する
日々です。
先週、モンテッソーリの教育を勉強するため、本場イタリヤに60歳を過ぎてから2年間留学し、ディプロマの資格を取って帰国した方を訪問いたしました。生徒の自主性を最大限に尊重し、優れた教材・教具を拝見して参りました。日本の教育とは、全く異なり、教師が教えることなく、生徒の自主性を尊重し、手助けに徹底する姿勢に驚きを隠せませんでした。アメリカの起業家の多くがこの教育の出身者であることを考えると、無視できない教育方法でしょう。彼の熱く語る教育への情熱にただ脱帽するのみ。
小中学校の定期試験と宿題
NPO塾全協 全国事務局長・東日本ブロック広報局長
中村基和(東京都中野区 むさし野ゼミナール)
小中学校の教育で長い間ずっと問題だなあと思っていたのは定期試験と宿題です。今回は定期試験と宿題について述べさせてもらいます。
【定期試験について思うこと】
中学時代、私自身どうやって対策をとっていたかというと、英数国以外は試験の1,2週間前に少しずつノートを書き写して暗記に務める。前日は覚えきるまでひたする暗記。言ってしまえば一夜漬け。試験が終われば忘れてしまうという刹那的勉強でした。私らの1つ前の世代までは都立高校の入試科目はなんと9教科。入試は1年から3年までの内容が全部出る。こんな勉強では高校入試に対処できないと常に悩んでいました。塾の教師をし始めてからも同じことで常に悩んで来ました。定期試験で良い点をとる生徒も大抵は実力テストや模擬試験では大した点がとれていません。ましてや定期試験の点数の良くない生徒はひどい状況です。
以前習ったことをすっかり忘れています。こんなんでどうすると言っても定期試験は無視できません。これでほぼ通信簿=内申点が決まるからです。また、学校より先に進んでいる上位層の生徒は、定期試験が近づくと一端進むのをストップせざるを得ません。これはある意味復習になるから仕方がないとしても、反対に基礎からやり直している生徒、特に英語では折角基礎の復習を順調に行ってきたのにそれを中断して、2週間くらいは付け焼き刃的に試験範囲のことを、理解しなくても良いからただひたすら覚えろということになってしまいます。定期試験は邪魔なのです。モチベーションのため、成績をつけるため定期試験は必要というのはわからない訳ではありませんが、一夜漬けの勉強はナンセンスです。
【宿題について思うこと】
定期試験前になると、生徒たちは学校でもらった問題集をよくやっています。大抵は試験範囲の単元をやって、解答を見て自分で答え合わせをして間違え直しをして提出させられます。
「良いことじゃないか」という人もいるでしょうが、次の点で問題があります。まず通信簿が1から4の生徒には丁度よいが、5の生徒には簡単すぎて字を書く練習にしかならず、3の生徒には半分はわからず(特に数学の証明など)、1と2の生徒は歯が立たないという
ものです。つまり大部分の生徒は赤ボールペンで答えを書き写しているだけという状態になっています。でも、自分でじっくり考えずに丁寧に答えを書き写す生徒が良い評価をもらったりしています。生徒たちはいわば「偽善的」勉強を強いられているのです。
あと、問題集に直接書き込ませるのも問題です。1回しか出来なくなるからです。一方、塾、特に個別指導の塾は本人にあった宿題を出すため、無駄ではありません。また、小学生の夏休みの自由研究も大いに問題ありです。一部は素晴らしいものがあるのは知っていますが、大抵は親泣かせです。つまり親がやっているようなものです。意味がありません。
【麴町中学校での大改革】
ご存じの方も多いと思いますが、最近千代田区立麴町中学校では工藤勇一校長のもと、定期試験の廃止、学級担任の廃止、そして宿題の廃止を始めました。定期試験をやらない代わりに単元別テスト(再チャレンジが出来ます)を行い、従来年3回であった実力テストを
5回に増やしました。理由は私が先ほど述べたのと同じように一夜漬けという悪癖をなくすこと、そして宿題も定期試験も目的を達成するための手段として適切ではないこと、簡単に言えば通知表をつけるために行われているのが現実であることです。この結果生徒たちは
家で机に向かう時間が増えたようです。
ただし、麴町中学校は、番町ー麴町ー日比谷ー東大という言葉があったとおり、かつては日比谷高校に毎年100人合格者を出していた公立の名門で、半分以上の生徒が越境です。生徒の学力レベルも親の教育意識も高く、あまり「公立」とはいえないような学校ですので、
「一般の」公立中学でやったらどうなるかはわかりません。しかし、やってみる価値はあるのではないでしょうか。
編集後記
従来4ページあったNPO塾全協新聞ですが、初めて6ページになりました。今後は8ページを
目指したいと思っています。会員の皆様の投稿をお待ちしております。
中村基和